「Piece」

OECDxWasedaUによる、インタビュー連載

【Vol.7】 学生団体SIBP元代表 吉田大祐

「大きな責任の中に学んだこと。『自分の足で稼ぐ』大切さ。」 

早稲田大学商学部4年在学。BOPビジネス学生団体、Student India Business Projectに所属。のち代表就任。日系大手企業や現地NGOと協力しながら様々な調査に従事。現在は就職活動を終え、OBとしてサポートに尽力しながらイベントの企画を行っている。

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Q. SIBPでの活動について教えてください。                  

SIBPでは、BOP(ベース・オブ・ザ・ピラミッド)と言われる所得の最下層の人々を巻き込んだビジネスに取り組んでいます。具体的には日本企業と提携して、インド農村部で、BOP層を消費者及びビジネスの担い手とした事業を展開するための市場調査を行っています。活動は、企業へ営業するところから始まります。提案を練って電話やメールをし、そのなかで好感触を得た企業と繰り返し交渉して契約と活動資金を獲得するのです。          

契約後も企業と繰り返しミーティングを重ねて、ビジネスモデルの仮説や具体的な調査項目などを話し合いました。その上でインドへ飛び、SIBPと協力関係にあるNGOのサポートの下、現地で地元の住民、小売店、NGOや企業に対する定性・定量調査を行うのです。そして最後に調査結果をもとに成果物を作成し、企業へ事業提案を行っています。                        

 

Q. 活動を続けたモチベーションは何だったのですか?              

この活動を始めたきっかけはBOPビジネスに興味があり、実際の活動が面白そうだったからです。BOPビジネスは理論的にはすばらしく、脚光も浴びていますが、実際のビジネスの場での成功例はそんなに多くないんです。特に日本企業による成功例は少ない。                     

この原因について私たちSIBPは「前例が無いからだ」という仮説を持っています。今後の活動の中で再現性のある前例を作ることによって、BOPビジネスへの日本企業の取り組みを1つでも多く増やすことを目指したいと思っています。

あと、なぜ活動を続けられるのか、と聞かれれば「楽しいから」、ということになると思います。「なんで直接かかわりのない普通の学生が途上国で活動したいの??」という質問はこれまでいろんな人に聞かれましたけど、それはとにかく興味があって楽しいから当事者意識を持ってやれているっていう。シンプルですけど。                        

Q. 活動の中で大変なことはありましたか?                   

一番大変なことは、お金をもらって活動を請け負う以上、学生ではなくビジネスパートナーとして見られることですね。東証一部上場の大企業と連携することもあり、責任も重いです。実際にセミナーやミーティングを通して活動を行う中でも、BOPビジネスの第一人者といわれる方をはじめとして、様々な方から厳しいお言葉をいただくこともありました。           

あとは、実際に現地で活動する時の様々な問題ですね。スケジュールを事前にすり合わせておいても当日にいきなりドタキャンされたり、いるはずの人がいなかったり。それにインドは社会のあちこちにタブーがあるので、どんなに仲良くなってもそこには気を遣いました。             

 

Q. 吉田さん自身が大学生活を通して大事にしたことを含めて、一言よろしくお願いします。                              

一番大切にしていたのは行動力というか、自分の足で稼ぐことです。SIBP以前に入っていた学生団体でも、英語がしゃべれないのに途上国NGOインターンや国際会議へ出かけましたし(笑)何でも機会を見つけてそれに飛び込んでみること。そして自分の目で何があるのかを確かめることが大事だと思います。  

 

SIBPホームページ: http://sibp2014.wix.com/sibp

SIBP Facebookhttps://www.facebook.com/SIBP23

SIBP twitterhttps://twitter.com/SIBP_BOP                            

【Vol.6】高校生国際会議元代表 藤田真彩

「聞いている人をインスパイアーできるような喋り手になりたい」

渋谷教育学園渋谷高校出身、現在早稲田大学国際教養学部1年。高校時代にTICAD V学生プロジェクトやオルタナS特派員として活動、2013年4月には高校生団体高校生国際会議を設立し翌年3月まで代表を務める。

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Q. 高校生国際会議を始めた最初のきっかけはなんでしたか?

国際会議を設立したのは去年、2013年4月頃(当時高校3年生)です。それまでは、4年一度に政府間で行われるTICADアフリカ開発会議)の下の学生プロジェクトに参加し、アフリカについて学びを深めていました。アフリカに興味を持ったのは、高1で行ったアメリカ留学が大きく関係しています。それまで転校などもしたことなく、守られた環境に育ってきた私にとって、アジア人すらいない環境での生活は世界に目を向ける第一歩となりました。その後、1つ1つの国よりも世界全体の相互関係に興味が湧くようになりました。

団体設立のきっかけは、ブラジル、韓国、中国など様々な国のプロジェクトに参加している同世代の仲間と国際問題について話し合ったことでした。例えば一概に環境問題といっても、各国によって深刻さや現状、解決策は様々です。そこで高校生にできることは、ただ漠然と「こうすればこうなる。」という抽象的解決策を話し合うよりもそうした違いを仲間とともに認識することではないかと考え、そうした機会を提供するべくこの団体を作りました。

 

Q. TICADや高校生国際会議で働いていた中で、面白いエピソードがあればぜひお聞かせください。

高校生国際会議は運営、会計を全て高校生で行っています。昨年度のメンバーは、18年間日本暮らしの子、15年間ブラジルに住んでいた子、更にはアフリカの小学校に通っていた子などバックグラウンドに富んでいました。日本人にとって「これって普通だよね、常識だよね」ということでも、国際会議の中では普通じゃなかったりするんです、逆の場合も多々ありました。そうした経験から、自分の中にある”普通”や”常識”は必ずしも相手と共有できている訳ではないと知り、価値観や考え方の違いを理解する難しさとともに大切さに気づかされました。

 

Q. 大変だったことはなんですか?また、そこから藤田さんご自身の心境の変化はありましたか?  

団体として活動するまでは、日本が関わる国際問題、例えば領土問題とかについて、「政府はこう言っているからそれは問題だよね」、「テレビでこう言われているから日本は正しい」と一方的な情報をただ鵜呑みにしていました。でも、様々な意見を持つ方々と関わるうちに、受け取る情報と自分の考えを比較したり、少し批判的に見てみるようになりました。そうした学校では中々学べない気付きを、同世代の高校生とシェアしたいという思いが国際会議運営のモチベーションだったと思います! 

 

Q. 現在最も興味深い分野・領域はなんですか?また、今取り組んでいることはなんですか。  

国際教養学部で学んでいるコミュニケーション・スタディーズです。高校生までは英語に堪能になることがゴールであり、そのために読み書き中心の勉強をしてきました。もちろん今でもまだまだ未熟なのでそうした学習を日々続けています。でも、今もっと興味があるのが、人々がどのような状況で、どのように言語を使うかなどを学ぶ言語学の分野です。私自身、これまで色々な方々のお話から刺激を受け、勇気をもらってきました。なので、言語について更に学びを深め、聞いている人をインスパイアーできるような喋り手になれればと思います。  

高校時代には団体に所属し、そこでの活動が自分を変えてくれました。でも今は自分一人で何ができるかに挑戦してみたいです。例えば最近は、時間があれば渋谷や原宿などの観光地に行って、外国の方に声をかけガイドのボランティアをしています。あとは一人旅ですね!ヨーロッパとかへ一人で行って現地の人とどれくらい仲よくなれるか、とか。

 

Q. グローバル人材になるために不可欠な素質はありますか?  

今までは英語だと思っていましたが、早稲田に入ってそうした素質なんてものはないんじゃないかなと思うようになりました。グローバル人材ってのも人それぞれの捉え方ああるだろうし。ただ、海外勤務とかでも何でも、「働かされているな」と思ってしまった時点で、それはただの労働者だと思います。逆に、働きたいという意欲があるなら、それは既に国際社会でグローバル人材としてということだと私は思います。でも実際、まだまだ分からないですね。だってまだ1年生ですもん笑

 

Q. 世界で活躍したい学生に対してメッセージをお願いします。

Don’t be afraid of making mistakes!

 

【 Vol. 5 】早稲田大学ICC学生スタッフリーダー Eric Young

「留学生も日本人も。早稲田を繋げる学生スタッフリーダー」

カナダ出身、2013年に来日。早稲田大学国際教養学部2年に在学中。早稲田大学国際コミュニティセンター(ICC)で学生スタッフリーダー、中野国際寮(WISH)でResident Assistant(RA)として活動している。早稲田の日本人学生と留学生の異文化交流のため様々なイベント企画や、留学生サポートに努力している。

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Q. ICC学生スタッフリーダーになったきっかけを教えてください。

スタッフリーダーというポジションに憧れたこと、それにイベントの企画をしたいという思いがあったことです。

まず前者ですが、私は元々ICCで「ランゲージ・アワー」(各国言語でおしゃべりするイベント)のボランティア・コーディネーターをやっていました。そこで活動する中で、主催する側のスタッフリーダーのポジションを意識するようになったのです。

また、企画がやりたかったということについてですが、私は高校でもタレントショーなどイベントに関わっていました。その時から、イベント運営には興味を持っていたのです。この2つの理由から、IC Cに応募することになりました。

 

Q. 最も印象に残っている企画やエピソードがあれば教えてください。

以前企画したキャンプイベント(ノーボーダー・キャンプ)で進行役を担当した時です。企画と参加者の両目線を持つことを学びました。

学生スタッフは、参加する学生と大学の橋渡しをする、難しいポジションです。皆が楽しんでいる時は、裏で次の準備を淡々と行いますが、コミュニケーションをとる時には学生の目線でものを考えなきゃいけない。この切り換えの大切さに気付いたことが、とても大きかったです。

 

Q. 学生スタッフリーダーとしてICCで働く中で、直面した課題はありましたか?

考え方や文化の違いです。わかりやすい例だと時間の考え方でしょうか。私が育ったカナダでは10分くらい遅刻しても普通だったのですが、日本は違いますよね。私の考え方は基本的にカナダ流で、先輩から時々注意を受けました。IC Cは1限にミーティングがあることが多かったものですから。慣れるのには苦労しましたが、日本的な価値観やスタンダードを理解するのにとても役立ちました。今では集合20分前には到着しています(笑)。

 

Q. ICCでは、留学生と日本人学生の両者が参加できるイベントが多くありますが、企画運営する中で、両者の違いを感じたことはありますか?

あります!積極性というか、意識レベルで違いがあると思います。留学生は積極的で、仲よくなりたいって意志を出すことにも慣れてます。ボディータッチとかも結構やりますし(笑) 。

一方で、日本の学生は腰が引きぎみ(?)かな。例えば、留学生は相手の言ったことが聞き取れないと時々「What?」と聞き返します。単純に聞こえなかっただけなんですが、日本の学生は怒られたと思って怖がって話さなくなる人もいるようでした。このあたりは随分違うように思います。

 

Q. ICCの学生スタッフリーダーとして、今後どんなことを目指していきたいですか?

2つあります。まず、早稲田の中でIC Cの存在をもっと大きくしていきたい。これは人数というより、「IC Cに行けば色々なことが学べる」という点を意識してもらいたいなと。そのためにもイベントでいい結果を出したいと思っています。

それに、IC C自体をもっとオープンな職場にしたいです。今は日本語で運営されるイベントが殆どなのですが、留学生が働きやすいように英語で行うイベントを増やすことも考えています。

 

Q.その他、ICCでの活動で意識していきたいことはありますか?

実は私は今、メディアに興味を持っています。メディアでは、例えば番組を作る時には、自分の興味と周りの好みを考えなければなりません。しかも、それをチームワークで実現することが必要です。ICCでは自分で企画をゼロから考えて、その当日の運営まですべてを経験することができます。将来の仕事も意識しつつ色々な能力を身に着けるチャンスだと思っています。

 

Q. 国際交流に関するアドバイスも含めて、最後に一言お願いします。

 大学時代はネットワーキングが大事だと思います。色々な人と知り合って、自分のネットワークを広げておけば、将来必ず役に立つのではないでしょうか。そうして色々な出会いを作ることを意識するなら、早稲田に来ている留学生とも積極的に交流することをおすすめします。

 

早稲田大学ICC http://www.waseda-icc.jp/

国際教養学部 http://www.waseda.jp/sils/jp/

ICC学生スタッフリーダー http://www.waseda-icc.jp/?p=231

ノーボーダー・キャンプ http://www.waseda-icc.jp/?p=15985

WISH: http://www.waseda.jp/wish/index.html

RA:http://www.waseda.jp/rlc/ra/index.html

【Vol.4】外務省 総合外交政策局 国連企画調整課長 関口 昇

「『日本を良くする』に携わる」

早稲田大学政治経済学部卒業後、平成3年 外務省入省。在英国大使館、在マレーシア大使館、総理大臣官邸内閣官房副長官秘書官等を経て、現在に至る。

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Q. 国家公務員の中で、なぜ外務省を目指されたのですか?

関口氏:外務省を選んだ理由は、3つあります。1つ目は、外国に対する懐かしさや憧れです。2歳半ばまで、アメリカに住んでいたため、自宅には、アメリカの製品がたくさんありました。そのような環境で育ち、アメリカに対する懐かしさ、また、外国に対して漠然とした憧れを持っていました。 2つ目は、外務公務員試験を1つの目標にしたことです。当時、政経学部生は全体の3割しかゼミに入れず、私もゼミの枠から漏れてしまいました。そこで,何か勉強しなければと思い、当時難関ということで「外務公務員試験」合格を1つの目標にしました。 3つ目は、3年生の夏に5週間アメリカへ語学留学に行き、外国人と議論し、何かを考えていくことの楽しさを知ったからです。

 

Q. 英国の日本大使館で働いていらっしゃった時のお仕事内容をお聞かせ下さい。

当時、広報文化センター次長として,広報文化を担当していました。日本のことを英国に知ってもらうこと、日本文化を英国に紹介することが主な仕事でした。その中で日英のマスコミの方々とも仕事で関わりました。広報は、マスコミの方々と協力することで情報を発信する力が大きくなります。当時広報文化業務を通じて学んだことは今でも役に立っています。

 

Q. 当時、印象に残ったエピソードはありますか?

ちょうど渡英して2年目の時に、G8サミットが英国で開催されました。当時私の所属していた広報文化センターでは、日本から来るマスコミや要人の方々が取材を行えるよう受け入れ準備をしていました。しかし、G8サミットの直前にロンドンオリンピックが決まり、ロンドンで地下鉄テロが起こったことで、ロンドンを去るマスコミの方々も多い中、残ったマスコミの方々にどう伝えるか、その方法を考えるのに頭をひねりました。

また、広報の仕事では、「受け手」が何を考えているかを理解することも大切です。英国の広告代理店と共に、日本に対する世論調査を行いました。英国における、日本の広報文化外交の基礎作りに貢献できたと思います。

 

Q. 実際に世論調査を実施した中で、英国における日本の印象は、どういったものでしたか。

若者の間で日本のポップカルチャーに対する人気を感じました。従来の「侍」や「相撲」といったイメージに代わり、ポップカルチャーをきっかけに、英国の若者が日本語を積極的に学ぼうとする意欲が見受けられました。ポップカルチャーといった新たな側面からの日本への関心の高まりを感じました。

 

Q. これまでの勤務の中で,どんな時にやりがいを感じましたか。

今のポスト(国連企画調整課長)に就いた後、昨年9月に、国会総会における安倍総理の一般討論演説の「骨子」を考えるのが私の役割でした。最初に書かれた内容が,最終的な演説の原形となります。国連の会議といった大きな舞台で、当時首相が女性の社会参画を訴えたことにより、外交と国内政策が共鳴し、その動きが大きくなっていくことを目の当たりにしたのは印象的でした。 このように、「日本のために」「日本が良くなっていく」ことに常に携わり、日本の政策に自分の考えが反映されていくことは大きなやりがいです。

 

Q. 最後に、早稲田大学の学生にメッセージをお願いします。

「世界は広い。世の中には課題が山積している。早稲田生であれば、困難を乗り越える力があると思います。自分を信じて、世の中に貢献できる人材になってください!」

【Vol.3】早稲田大学国際教養学部 Hongjae OH

「成功の味も、失敗の味も。」

韓国出身、2007年に来日。早稲田大学国際教養学部4年に在学。在学中、TEDxWasedaUの前身であるSAIA(Student Assembly for International Affairs)で活動。2011年に他の6名の学生とTEDxWasedaU設立。現在、TEDxWasedaUの代表として、早稲田大学だけではなく、日本各地のTEDコミュニティ及び日本社会での活動を企画している。

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Q. TEDxWasedaUの立ち上げたきっかけとプロセスについてお聞きしたいです。

私達は、2011年10月にSILS(国際教養学部)の私を含む7名の生徒で立ち上げました。きっかけは、韓国の兵役から帰ってきた時、友達と運営していたサークルを再開させようとしたことです。何かHarvard のHPAIRのような催しを立ち上げようと思いましたが、うまくいきませんでした。そんな時、韓国の地元で参加したTEDを思い出しました。3年前は、TEDの知名度は低く、日本には3つしかTEDの都市コミュニティはありませんでした。そのような状況で、私達は、早稲田大学に、東京の大学で3番目のTEDを作りました。

 

Q. TEDxWasedaUを立ち上げる際、大変だったことはなんですか?

当時、震災直後で世間が自粛ムードだった事です。マスメディアもソーシャルメディアも、震災のことばかりでした。そのようなタイミングで、プロモーションしていくことが難しかったです。私達がTEDの理念や楽しさを伝えたくても、世間の雰囲気が地震にフォーカスし、注目されません。また、チーム全員が、何かを0から立ち上げて、うまく運営した経験がありませんでした。結果的に、震災直後はプランニングをチームでとことんやり、どうやったら人から注目されるか、検討しました。震災直後の自粛ムードが緩んできた時期、プロモーションを開始し、2012年6月に初めての早稲田大学でのTEDx eventを実現しました。

 

Q. 兵役から帰国後、意識が変わり、TEDを立ち上げたということですが、具体的にご自身の中でどのような変化があったのでしょうか?

2つ変化があったと思います。1つは、兵役を経験した事で、「何かをやりきる」ことの大切さを学んだからです。兵役では、韓国の様々な家庭の同年代の人々と、2年間共同生活をしました。違う環境で育ち、異なる価値観を持つ人と、悔しさ、辛さ、嬉しさ、楽しさを一緒に味わいました。様々な環境に置かれた人が、それぞれの人生を頑張る姿を見て、兵役の前の自分がはずかしくなりました。日本に帰ってきた後は、「何かを頑張ろう」という気持ちが、以前よりも一層強くなりました。

2つ目は、日本への興味が強くなった事です。初めて日本に来たときは、「日本は先進国だから、英語が通じるだろう。」と思っていました。しかし、空港を降りた瞬間、英語が通じない事にびっくりしました。しかし、兵役から帰ってきた時には、学校の留学生も増え、多様化を感じました。 また、日本の社会を知るために、様々なアルバイトをしました。工事現場の掃除、バーテンダー、チラシ配り、コールセンター、家庭教師など。そうやって、学校では知り得ないような、日本の見知を得て、日本人の生活を見て、日本の社会の未来を考える事に、面白さを感じています。 日本の社会の変化を実感し、日本の社会への興味が強くなっています。

 

Q. 一人の学生として、TEDxWasedaUの代表として今後の目標はなんですか?  TEDxWasedaUらしさをもっと出すことです。TEDは毎日チャレンジです。メンバーと一緒に、チームのスペシャリティを考え、「私達らしさは何か」を突き詰める事で、私達の中でのチームの認識と、社会へのメッセージが強くなると考えています。 また、一般の人達を巻き込み、規模を大きくさせたいです。私達は、SILSの7名の学生で始め、2年目は、他の学部のメンバーもジョインし、国籍も様々になりました。3年目は、サポーターも、韓国の学生団体や、イギリスの大学生を巻き込んでいます。小さいチームから始まり、学内、学外、国際と、規模が大きくなる中で、もっともっと学生、社会人を巻き込んでいきたいです。

 

Q. 何かやろうとして行動に移せないあるいは迷っている学生に一言アドバイスをお願いします。

私は経験主義者です。自分でも、机で学ぶより、何かをやることに楽しさを感じています。私はいつも後輩、友達に相談された時に、同じ答えを返しています。それは、「経験してみれば?」です。私自身、色々な経験しながら、失敗の味も、成功の味も、味わってきました。しかし、色々な経験をした分、強くなれました。必用以上の心配はせずに、何事も経験してみることは、後に宝になると思います。

 

TEDxWasedaUやイベントの詳細は、TEDxWasedaUの公式Facebookページで確認できます。 

【Vol.2】早稲田大学政治経済学部 吉永恵

「好きな事×やりたい事=アラビア女性のファッションショー」

中国出身、13歳の時に来日。早稲田大学政治経済学部4年に在学。在学中、北京大学に一年間留学。日本青年国際交流機構(IYEO)でのドミニカ共和国派遣、G20 Youth Summits 日本代表。自身の国際活動の集大成として、アラブの女性をテーマにしたファッションショーを主催した。

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Q. 様々な国際活動を行われていますが、国際に関心を持ったきっかけは何ですか?

吉永さん:一番最初は日本に来た中学2年時、言葉もうまく話せず、いじめを受けた事がきっかけです。最初は日本人になじめず、言葉の壁、文化の違いを感じました。私だけでなく、他に異なる文化や言語の壁で苦しむ人を助けたいと思ったのがきっかけです。

 

Q. ダブルディグリープログラムで1年間北京大学に行かれたようですが、北京大に行かれたきっかけと、感じた事をお聞かせ下さい。

きっかけは、自分のルーツ探しがしたかったからです。まさに北京大学への留学プログラムがあるのが早稲田大学だけなので、早稲田に入学しました。もう一度祖国がどのような国で、私がどのようなルーツを持っているか確認したかった。なので、北京大学在学時も多くの時間を中国での旅二使いました。また、日中関係の溝も肌で実感し、アジア団結して欲しいと思いました。それを実現するためには、アジアの外に1回出てみなければならないと思っています。

 

Q. 将来の夢はなんですか?

国際協力ができる学校を作る事です。きっかけは、国際交流して限界を感じるようになったことです。どの国際活動も短期的に終わってしまう。北京大学に留学した時も、留学生の中には、中国人の異文化を受け入れず、異質のものを見るだけで終わる人もいました。もっと早い段階から、国際の文化の壁を取り除くための教育の場を作りたいです。

 

Q. なぜアラビアのファッションショーを企画したかったのですか?

中東学生会議やムスリムの友人がいた事もあり、長い期間中東にいました。イスラムの女性に感銘を受けた事がきっかけです。イスラム教は女性がスカーフで顔や姿を隠します。ムスリムでは目だけしか出さず、スーパーでは、よく子供が自分の母親を分別できなくなり、迷子になります。最初、そういった文化は不思議でした。しかし、ムスリムで、20歳の女の子の家にホームステイして見解が変わりました。ある日その女の子にベールを脱いでもらいました。「あまりにも美しい。」、こんなに美しいのに皆が隠している。その文化の奥に深い意味があると感じました。コーランの話を聞き、ムスリムや中東に対して、怖いイメージを持っていた自分を情けなく思いました。とは言え、中東に対して、「テロリスト」等、マイナスのイメージを持っている人も多いと思います。そのような先入観を壊し、美しいものを使って文化交流したいと思った事がきっかけです。

 

Q. ファッションショーの企画で大変だった事はありますか?

全部手探りなのが大変でした。協賛を取る事、会場を取る事、協力を得る人に理解してもらう事。普段はストレスや失敗も糧にするタイプなのですが、1回目のアラビアファッションショーでは、会場が開催の10日前まで決まらず、大変でした。

 

Q. 興味のあることは何ですか?

女性の美しさを追究する事です。ファッションビジネスにも興味を持っています。元々美術が好きで、3歳の時に初めて人形に服をデザインしました。しかし、勉強重視の中国なので、祖母に見せたら怒られました。その後も美術は学校でトップで、何かできないかなと思っていました。日本に来て、高校の親友がファッション好きで、一緒に小さなファッションショーをやったりしました。なので、アラビア女性のファッションショーは、私の国際交流の経験と、好きな事を合わせた、集大成でもあります。 「私の好きな事(女性の美しさ)×やりたいこと(国際交流)=アラビアの女性ファッションショー」だと思っています。

 

Q. 今後の目標を教えてください。

まずは、4月にある大使館でのアラビアファッションショーを成功させる事です。ここまで好きな事をこの規模で出来るのも日本にいるからです。その事に感謝し、頑張ります。その後は、アジアの外に出て、アジアに貢献できるよう、大学院の準備をしっかりやりたいと思います。

【Vol.1】OECD東京センター所長 村上由美子

「先入観はいらない、ビジョンを持って」

OECD経済協力開発機構)日本加盟50周年の今年、東京センター所長として活躍する、村上由美子氏にインタビューを行いました。村上所長は、昨年9月、日本人女性として、また民間企業出身者として、初の所長となりました。上智大学卒業後、スタンフォード大学院で国際関係を学び、国連職員、ハーバード大学院、ゴールドマン・サックスを経て、現職に就きました。

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 Q. なぜ国際機関を目指そうと思ったのか、お聞かせ下さい。

村上所長:私の学生時代は、冷戦真っ只中でした。高校生の時、テレビや新聞で毎日報道される国際情勢を目にし、「これは何か大変な事が起きている。」という思いが働きました。ソ連、アメリカ、そして狭間にある日本という関係を見て、冷戦を始めとした、国際情勢の助けになりたいという、大きな軸が出来ました。そのような思いで、大学ではロシア語を専攻し、アメリカの大学院では、国際関係を学びました。

 

Q. どんな学生時代を送りましたか?

私はバックパッカーでした。学んだロシア語で何かできないかと思い、実際にソ連には3、4回行ったと思います。観光だけではなく、ロシア語を使って自らが現地で観光ガイドのアルバイトをしました。生身のソ連を見て、ソ連の問題が経済的、社会的に大きなインパクトを持つことを実感しました。そのような体験の積み重ねで、国際関係を学びたくなり、後に国際機関というキャリアを目指す土台となりました。

 

Q. 国連ゴールドマン・サックスでどのような仕事をなさっていましたか? また国連から民間にキャリアを移された経緯もお聞かせ下さい。

国連では、まず最初に中米のバルバドスへ行きました。信用金庫を作る経済プロジェクトを担当しました。そこで、世の中の経済において、お金を流すためには、国連ODA(先進国政府が途上国を支援する資金、技術提供のこと)だけでなく、民間も自らが歩かなければならないと感じました。そのために、私自身が民間の経済を肌で感じたいと思うようになりました。ニューヨークに戻った後、国連を去り、ハーバードのビジネススクールに行き、卒業後はゴールドマン・サックスに入社し、ロンドン、ニューヨーク、東京オフィスで働きました。経済における、政府や国際機関の役割だけでなく、民間の仕組み、民間のインセンティブも知る事が出来ました。この経験が、今の立場でも、官公庁や政府と協議する時に、民間の視点も提供できるといったバリューとして役立っています。

 

Q. 世界の中心となる国際機関、投資銀行とキャリアを積む中で、大切にされてきた事はありますか?

2つあります。1つは、常に楽観的であることです。様々な国、立場の人が働く環境であり、しかも金融は流動が速いので、いちいち必用以上に心配しません。目の前にある事を、結果が出るようにこなしていく、失敗してもやり続けることを大切にしています。2つ目は、ビジョンを持つ事です。結果を出していく過程で、軸をぶらさず、次のステップを考えてきました。

 

Q. 世界各国の方々と一緒にお仕事をされる中で、心がけてきた事はありますか?また、国際機関で感じた日本人の課題もお聞かせ下さい。

私は、ゴールドマン・サックスでチームのボスをやっていた時、必ずダイバーシティを意識してきました。実際に、ダイバーシティはビジネスデシジョンに大きな影響を与えます。異なった考え方、立場、背景を持つ人でチームを構成し、広いプールを作る事で、奇抜なアイデアが生まれました。

また、日本人の課題については二点あると感じました。1つは、アピールが足りないことです。色々な国の人と働く時、主張や交渉をしなければ目立てません。2つ目は、コミュニケーション力です。実際、低い英語力も日本人の世界進出の妨げになっています。「日本人だから英語は出来ない」という思い込みを取り払って、メンタリティ強く、リーダーシップを取っていかなければなりません。

 

Q. 日本人女性として初のOECD幹部になり、憧れる女性も多いと思います。今までのキャリアにおいて、女性として大変だった事はありましたか?

私自身は子供を産んだ時、ゴールドマン・サックスの同じチームの女性ボスが、出産しても当たり前のようにすぐに復帰し、仕事をしているのを見ました。ですので、目の前にお手本がいた事で、私も安心して子育てと仕事を両立できました。

女性の課題としては、男性に比べて交渉力が低いと感じました。私がゴールドマン・サックスでチームのボスをやっていた時、ボーナスの交渉にくるのは必ず男性でした。国際的職場で評価されたいのであれば、アピールしなければなりません。そういった点での違いは感じました。

一方で、女性だから○○、男性だから○○、といった先入観は、世の中には存在します。例として、ニューヨークフィルでは、採用オーディションの際に、姿が見えないよう、ブラインド・オーディションを実施した後、女性の団員が増えたそうです。つまり、今までは、「女性だから腕の力が弱いだろう」などといった先入観があったということです。先ほども話した通り、ダイバーシティは収益や成果に大きな影響を持ちます。男性も女性も、先入観を一旦捨てた方がいいと感じています。

 

Q. これから国際的に活躍したい学生に、アドバイスをお願いします。

意識して身につけた方が良い事は2つあります。1つは、コミュニケーション力です。国際機関や、民間でも世界の人々と働くには、意思疎通していかなければなりません。その際、英語は義務です(笑)。ただし、コミュニケーション能力と、英語力は、イコールではありません。英語を身につけていただき、世界で堂々と発言できる日本人学生が増えればと願っております。 2つ目は、専門性です。国際機関でも、民間でも、「何のプロフェッショナルか」を明確にした方が、採用されやすいと思います。総合職があるのは日本だけです。総合職として働くにしても、自分が武器として持つ専門性がある方の方が、世界で求められると思います。

 

村上所長ご自身の今後のビジョンは、5月にOECDのパリ本部で行われる閣僚理事会で、安倍首相がインパクトを出せるよう、OECD東京センター所長として準備を万全にする事だそうです!

村上所長、ありがとうございました!